「縄文意識」とは、己が生業に全力で勤しみ、無我や没自然の境地となって真の自己を解き放ち、あるがままの姿で自由に生き切っていく意識のこと。=0意識(私=0=∞)=ゼロ・ポイント・フィールド。ただしコトの成就や調和は神や仏、自然や宇宙に任せる。

(北斎館所蔵)
吉川さん:荒井勉氏は、『隅田川怒濤図』の「男浪図」では青の浪と緑の浪が相争うように表され、「女浪図」では青の浪と緑の浪が寄り添うように表現されているとした上で、両図の四方に廻らされている各縁絵の動物に注目されています。
「男浪図」では麒麟・孔雀・獅子という日本の聖獣が描かれているのに対して「女浪図」の方ではリス・インコ・エンゼルという西洋の聖獣が描かれているのを根拠として次のように述べられています。
葛飾北斎は、日本の宗教心に対応させて、西洋の宗教も描いていたことになる。つまり『怒濤図』というのは、東洋と西洋とを対応させた二つの絵で合成されていることになる。二つの世界を合成させているという点で私は、密教のマンダラ絵の思想に『怒濤図』も通じているのを感じる。
マンダラ絵というのは、空海が中国から持参してきた仏教画である。多種多様の仏様の総合図ともいえ、敵対していた〈カミ〉をも包み込む姿勢で貫かれている。密教のマンダラ絵は、二種類を一組としている。
本堂の東側に掛けるのは、胎蔵界マンダラで女性的な「理」の機能を表現している。西側に掛けるのは、金剛界マンダラで男性的な「智」の機能を表現している。二つのマンダラ絵は「両部不二」と表現され、二元にして一者であるという哲学を空海は確立したのである。
葛飾北斎の『怒濤図』は、「男浪図」と「女浪図」から合成されていて、東洋と西洋の二界を描いている。葛飾北斎も東西の宗教世界を、二元にして一者であると帰結しているようにうかがえる。つまり『怒濤図』は、マンダラ絵の思想そのものに重なっていると私はみるのである。
(『北斎の隠し絵』第一章エンゼルを描いた背景」より)
北斎は寛政10年(1798・39歳)8月15日(旧暦)斎行の深川八幡宮の例大祭で、捕獲した魚や鳥獣を野に放ち殺生を戒め生きとし生ける物の霊を慰めて感謝を捧げる「放生会」にあわせ、従前の名前であった琳派の「俵屋宗理」から「北斎辰政」へと改名を果たしています。
この改名を記念すべく親・子・孫の三代を表す3匹の「放し亀」の絵を描いて刷り物にした『亀図』を自費出版して知人や友人たちに配っています。友人の書家・稲葉華渓はその絵の賛に詞書きとして「宗理ぬしの改名に北辰の光りいよいよましなん事を」と記し「苔む花 こや衆生の もてはやし」という川柳を添え書きして祝意を表しています。
この『亀図』には新たに改名した「北斎辰政画」と記名され『師造化』という落款が捺されています。『師造化』(=「造化のみを師とす」)の落款から、それまでの琳派からも離れて放生会の「放し亀」のようにあらゆる流派からも解き放たれて自主独立すること。
そして自由奔放に「北辰」を唯一指針とし「森羅万象のみを師と仰ぎ」ながら、その「造化の妙」を写し取る画業に励んでいこうとする「北斎」改名の決意の程が読み取れるのではないでしょうか。
(下線は編集部による)
(次号に続く)

出典:永田コレクション(島根県立美術館)
バックナンバーはこちら▼
吉川 竜実さんプロフィール
神宮禰宜・博士(文学)
皇學館大学大学院博士前期課程修了後、平成元(1989)年、伊勢神宮に奉職。平成2(1990)年、即位礼および大嘗祭後の天皇(現上皇)陛下神宮御親謁の儀、平成5(1993)年第61回式年遷宮、平成25(2013)年第622回式年遷宮、平成31(2019)年、御退位につき天皇(現上皇)陛下神宮御親謁の儀、令和元(2019)年、即位礼及び大嘗祭後の天皇(今上)陛下神宮御親謁の儀に奉仕。平成11(1999)年第1回・平成28(2016)年第3回神宮大宮司学術奨励賞、平成29(2017)年、神道文化賞受賞。
通称“さくらばあちゃん”として活躍されていたが、現役神職として初めて実名で神道を書籍(『神道ことはじめ』)で伝える。
知っているようで知らないことが多い「神道」。『神道ことはじめ』は、そのイロハを、吉川竜実さんが、気さくで楽しく慈しみ深いお人柄そのままに、わかりやすく教えてくれます。読むだけで天とつながる軸が通るような、地に足をつけて生きる力と指針を与えてくれる慈愛に満ちた一冊。あらためて、神道が日本人の日常を形作っていることを実感させてくれるでしょう。
下記ページからメールアドレスをご登録いただくと、『神道ことはじめ』を第2章まで無料でお試し読みいただけます。また、吉川竜実さんや神道に関する様々な情報をお届けいたします。ぜひお気軽にご登録くださいませ♪






