「縄文意識」とは、己が生業に全力で勤しみ、無我や没自然の境地となって真の自己を解き放ち、あるがままの姿で自由に生き切っていく意識のこと。=0意識(私=0=∞)=ゼロ・ポイント・フィールド。ただしコトの成就や調和は神や仏、自然や宇宙に任せる。

吉川さん:前号で紹介した荒井説は、充分説得力があって是認されて然るべき見解であると思います。そしてさらに筆者は鳳凰が選定された別の理由を、『八方睨み鳳凰図』と同じ「小布施もの」の『富士越龍』と呼ばれる絵画との組み合わせにおいて考えています。
『富士越龍』は、岩松院本堂天井絵の『八方睨み鳳凰図』とほぼ同時期の北斎が逝去する約3ケ月前に製作された絶筆に近いといわれる作品です。
北斎が生涯にわたってこだわり続けたいわばライフワークともいえる「霊峰・富士」を、幾何学的な山容にて威風堂々と描き出しており、その霊峰を越すべく『万葉集』以来わが国の芸術と文化の名所「田子の浦」から黒雲がモクモクと右旋回をして立ち上るのを纏いながら、一匹の龍が一心不乱に昇天していく雄姿がモノクローム調の水墨画で幻想的に描写されています。
この一匹の龍は、北斎自身を表現したものであるとよく説かれてきました。しかしそもそも「北斎」という画号自体が、39歳の時に日蓮宗の本所柳島にある妙見菩薩(北辰妙見大菩薩とも称される〈=仏教の妙見菩薩と大陸の北辰思想とが習合〉)を信仰することによって「北斎辰政」と改号したことに基づいていることや、
更に当絵の落款には製作年月日の「嘉永二己酉年正月辰ノ日」と記された上に「宝暦十庚辰年出生」とわざわざ出生年までもが並列して記述されていることからすると、「辰」年生まれの北斎にはどうやら自分は「龍」の化身であると自負していたとも考えてよさそうです。
そして富士を天体における「北極星」と見做して黒雲の立ち上り方にも注視して戴くと、右螺旋状に上昇していく黒雲の軌跡に「北斗七星」の図形を見出すことも可能なようです。
そしてこのような描画内容を有する『富士越龍』と『八方睨み鳳凰図』の組み合わせは、ちょうど祇園祭東町屋台の天井絵においてワンセットで描画された『龍図』と『鳳凰図』とも見事に一致していると見られるのは注目に値すると思われます。
この両聖獣の組み合わせについては九州国立博物館編・著『北斎日新除魔図の世界』畑靖紀氏執筆「色彩の対比が織りなす、龍と鳳凰の妖艶な小宇宙」では、
なお、龍と鳳凰の組み合わせは、歴史的に必ずしも一般的なものではない。前述のギメ東洋美術館の「雲龍図」が、当初は「雨中の虎図」(大田記念美術館)と一対の龍虎図として制作されたように、古来、龍と組み合わされる一般的なモチーフは虎である。そのうえで、敢えてこの主題を選択した画家の意図は今後の大きな研究課題でもある。

としています。結論からいえばこの「龍」は〝北斎〞に準えられ、そして高井鴻山の名前に「鴻」の字が含まれると共に、先の『富士越龍』落款の製作年が「酉年」であったことからしても、あらゆる鳥の頂点に立つ「鳳凰」に〝鴻山〞を準えたものと見て差し支えはないと思っています。そして北斎と鴻山の師友関係における強い友情の証しとして東町屋台の天井絵画題には「龍」と「鳳凰」とが一対の関係で選ばれたと見ているのです。
(下線は編集部による)
(次号に続く)
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吉川 竜実さんプロフィール
神宮禰宜・博士(文学)
皇學館大学大学院博士前期課程修了後、平成元(1989)年、伊勢神宮に奉職。平成2(1990)年、即位礼および大嘗祭後の天皇(現上皇)陛下神宮御親謁の儀、平成5(1993)年第61回式年遷宮、平成25(2013)年第622回式年遷宮、平成31(2019)年、御退位につき天皇(現上皇)陛下神宮御親謁の儀、令和元(2019)年、即位礼及び大嘗祭後の天皇(今上)陛下神宮御親謁の儀に奉仕。平成11(1999)年第1回・平成28(2016)年第3回神宮大宮司学術奨励賞、平成29(2017)年、神道文化賞受賞。
通称“さくらばあちゃん”として活躍されていたが、現役神職として初めて実名で神道を書籍(『神道ことはじめ』)で伝える。
知っているようで知らないことが多い「神道」。『神道ことはじめ』は、そのイロハを、吉川竜実さんが、気さくで楽しく慈しみ深いお人柄そのままに、わかりやすく教えてくれます。読むだけで天とつながる軸が通るような、地に足をつけて生きる力と指針を与えてくれる慈愛に満ちた一冊。あらためて、神道が日本人の日常を形作っていることを実感させてくれるでしょう。
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