神道の源流、「縄文」。その精神性は日本の習慣や嗜好性の奥深くに見え隠れしています。私たちの感性(アイデンティティ)や世界観の根幹にある「縄文」を紐解いていきます。
うさぎ うさぎ なに見て はねる
十五夜 お月さま 見て はねる
吉川さん:右は十五夜のお月さま(=中秋の名月)を見てとび跳ねるかわいらしいうさぎをテーマにした江戸時代から歌い継がれてきた童謡「うさぎ」です。
収穫の秋を目前にして名月を愛でるわが国の伝統的な風習は、平安時代に大陸からの影響を受けて貴族たちの間で「観月の宴」が催され、江戸時代には庶民にまで広く浸透したといわれています。
しかしながら、中秋の名月を愛でる風習はもともと昔からわが国にはあったと考えられます。
中秋の名月は別名「芋名月」とも呼ばれ、地方の神社をはじめ故郷の各ご家庭で、月にまん丸な団子を三方という木製の台付きの折敷に載せてお供えすることがよく見受けられますが、本来はまん丸な里芋であったといわれ、里芋そのものをお供えする習俗もまだまだ残っています。
日本人が里芋を食するようになったのはいったいいつからでしょうか。
実は今から遥か5千年前の縄文時代中期まで遡ります。
約1万年間続いた縄文文化の食事のメインディッシュは、クリやカシ・シイなどの堅菓類(ナッツ)や里芋・山芋に加えて四季折々にとれる山菜や魚貝・鳥獣をとり混ぜたものであったとされています。
そして縄文では決して食料の欠乏に陥らないように大自然の循環に則りながら徹底した食物管理が行われていたようです(「縄文カレンダー」参照)。
今でも日本人が好んでよく食べるものには、長く伸びるお餅やパラパラとしたインディカ米よりも、粘り気のあるジャポニカ米、とろろ芋や納豆等があげられます。
これはおそらく縄文からネバネバ感のある里芋や山芋を食べ続けてきた遠い祖先の記憶やDNAにその根拠が求められるのかもしれません。
また今から2〜4千年前の弥生時代に水稲栽培が日本全国にくまなく広まったのも、すでに縄文文化で水田のような水湿地て里芋が栽培管理されていた下地のあったことは憶測されています。
里芋についての古伝承は、『古事記』や『日本書紀』には見あたりませんが『豊後国風土記』(735年頃成立)の総記に、第12代景行天皇の御代に白鳥が里芋と化して冬でも収穫できる優れた食物として称えられたことを記しています。
今年の十五夜は令和3年9月21日(火)ですので、是非とも名月を愛でなが
ら遙か1万年前の縄文文化に心を馳せられてはいかがでしょうか。

「縄文カレンダー」を参考に作成。
吉川 竜実さんプロフィール
神宮参事・博士(文学)
皇學館大学大学院博士前期課程修了後、平成元(1989)年、伊勢神宮に奉職。
平成2(1990)年、即位礼および大嘗祭後の天皇(現上皇)陛下神宮御親謁の儀、平成5(1993)年第61回式年遷宮、平成25(2013)年第62回式年遷宮、平成31(2019)年、御退位につき天皇(現上皇)陛下神宮御親謁の儀、令和元(2019)年、即位礼及び大嘗祭後の天皇(今上)陛下神宮御親謁の儀に奉仕。平成11(1999)年第1回・平成28(2016)年第3回神宮大宮司学術奨励賞、平成29(2017)年、神道文化賞受賞。
通称“さくらばあちゃん”として活躍されていたが、現役神職として初めて実名で神道を書籍(『神道ことはじめ』)で伝える。
知っているようで知らないことが多い「神道」。『神道ことはじめ』は、そのイロハを、吉川竜実さんが、気さくで楽しく慈しみ深いお人柄そのままに、わかりやすく教えてくれます。読むだけで天とつながる軸が通るような、地に足をつけて生きる力と指針を与えてくれる慈愛に満ちた一冊。あらためて、神道が日本人の日常を形作っていることを実感させてくれるでしょう。
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