縄文時代、人々が用いたもののすべてに宇宙観や生命観が反映されていたようです。その最たるものが三種の神器の一つ硬玉ヒスイ製「勾玉」であったと考えられるのです。
吉川さん:硬玉ヒスイは新潟県糸魚川の河川域でしか産出しませんが、そこで祀られていた神は硬玉ヒスイの化身ともいえる渟(奴)名川(沼河)姫(比売)命でした。
ヌナカワヒメノミコトに求婚すべく出雲の国から高志の国へと訪ねられた八千戈神(=大国主命)はめでたく結婚なされましたが(『古事記』上巻「沼河比売求婚」段参照)、この神話は硬玉ヒスイを産出する地域の人々と出雲地域の人々とが友好関係を結んだことを意味しているとも理解されます。
ちなみに出雲地方で発掘されたヒスイ製品はすべて糸魚川産のものといわれています。
この地域で産出された硬玉ヒスイは縄文後期から後の奈良期に至るまで大変珍重されています。『万葉集』巻十三(3247)には、
渟名川の 底なる玉 求めて 得まし玉かも
拾ひて 得まし玉かも
惜しき 君が 老ゆらく惜しも
【大意】姫川の底にある玉 探し求めて得た玉かもしれない 川底を這いずりまわって拾い得た玉かもしれない この玉のように若々しい君が老いていくのは大変惜しいことです
と詠われ、硬玉ヒスイ製の玉は元気ハツラツとした生命エネルギーに溢れる効用をもたらす妙なる玉とされていたことが窺われます。
ところで『日本書紀』巻第二「天孫降臨」段には「天照大神、乃ち天津彦彦火瓊瓊杵尊に、八坂瓊の曲玉及び八咫鏡・草薙剱、三種の宝物を賜ふ」とあって、オオミカミが皇孫ニニギノミコトに皇位と共に伝えられるべき宝物「三種の神器」の一つにヤサカニノ曲(勾)玉の存在があります。
また『越後国風土記』逸文「八坂丹」条には「八坂丹は玉の名なり。玉の色青きを謂ふ、故、青八坂丹の玉と云ふ。」と記されていますが、先の『古事記』『万葉集』に記載されるヌナカワの「ヌ」や『日本書紀』『風土記』に見られるヤサカニの「ニ」はおそらく「硬玉ヒスイ」を指す古語であろうと思われます。
そうすると、オオミカミがニニギノミコトに授けられたヤサカニノマガタマの材質は硬玉ヒスイと推測され、その形状が胎児を象られたものだとするならば、いわゆる三大神勅の「天壌無窮の神勅」における皇室の永遠性を保証することを表象する宝物として理解できるのではないでしょうか。
そして胎児の形状をした生命エネルギー溢れる勾玉であればこそ、南朝の柱石として活躍した北畠親房が名著『神皇正統記』(延元4・暦応2年・1339年成立)天巻において「玉は柔和善順を徳とす。慈悲の本源也」と説き、母親が緑子に抱く慈愛を象徴するレガリア(※)としてヤサカニノマガタマの有する働きを説明したものと考えられるのです。※王権の象徴となる物品のこと。
吉川 竜実さんプロフィール
伊勢神宮禰宜・神宮徴古館・農業館館長、式年遷宮記念せんぐう館館長、教学課主任研究員。2016年G7伊勢サミットにおいて各国首相の伊勢神宮内宮の御垣内特別参拝を誘導。通称“さくらばあちゃん”として活躍されていたが、現役神職として初めて実名で神道を書籍(『神道ことはじめ』)で伝える。