先人たちが残してきたさまざまなアートには、調和と共生の象徴でもある縄文的感性を覚醒させる手がかりがあるようです。そこで世界的にも突出した浮世絵師・葛飾北斎の「富嶽三十六景」を題材に、日本人の精神性を縄文に遡って探究していた岡本太郎の芸術論を交えてご紹介いたします。
なまよみの 甲斐の国 うち寄する 駿河の国と こちごちの 国のみ中ゆ 出で立てる 不盡の高嶺は天雲も い行きはばかり 飛ぶ鳥も とびも上らず もゆる火を 雪もち消ち ふる雪を 火もち消ちつつ 言ひもえず 名づけも知らず 霊しくも います神かも 石花の海と 名づけてあるも その山の 包める海ぞ 不盡河と 人の渡るも その山の 水のたぎちぞ 日の本のやまとの国の 鎮とも います神かも 宝とも なれる山かも 駿河なる 不盡の高嶺は見れど飽かぬかも
反歌
富士の嶺に ふりおける雪は 六月の十五日に消ぬれば その夜降りけり
(『万葉集』巻三より)
吉川さん:〝大和の国の鎮めともいます神〞とも讃えられる富士山を主題とした『富嶽三十六景』。そこで取り扱われた北斎の描画視点は、江戸をはじめ相模・上総・下総・駿河・遠江・三河・尾張等広く太平洋沿岸から「表富士」を眺望できる地域を主体として、常陸・甲斐・信濃等の内陸部から「裏富士」を仰げる地域にまで及んでいます。
北斎がこれらの地点を描画視点に選んだ理由のひとつに、『富嶽三十六景』の出版当時「富士講」(=霊峰・富士を信仰する結社、富士登拝や遥拝にはじまり富士塚や記念碑の建立を行った)が庶民の間に隆盛し深く浸透していたこと、その根底に神道の自然信仰があると指摘されています(田中英道著「葛飾北斎 本当は何がすごいのか」)。
そしてさらにその空間を捉える感性は、考古学者の小林達雄氏による次の2つの指摘にピタリと重なり合っているのです。
②縄文人の景観づくりの概念や感性が各時代の巨大記念建造物をつくる際にも継承されており、現代の東京タワーやスカイツリーへの系譜までつながっている。
(小林達雄著『縄文文化が日本人の未来を拓く』)
①遙か一万年前の縄文人たちの時代から、遠方の霊峰富士はもとより近在の神南備(※)の山々の稜線からも二至二分の際に日の出・日の入りを告げる絶景のビューポイントの位置に縄文遺跡が数多く点在し、続く弥生・古墳時代を経ても尚それを意識した聖地が重視され、やがて神社が創建された。
『富嶽三十六景』(実際には四十八景)にはデザイン的な感性も隠されています。
この揃物の浮世絵集を代表する顔ともいえる「三役」に、「神奈川沖浪裏」・「凱風快晴」・「山下白雨」があります。「赤富士」と通称される「凱風快晴」に対して、「山下白雨」で描かれた富士山は黒く荒々しい山肌をしていることから「黒富士」とも呼ばれます。
次号より、この「山下白雨」を例に、縄文意識の感性とは何か?について掘り下げて行きます。
※神南備:神道考古学の創始者・大場磐雄(1899〜1975)が提唱した神霊が依り代として宿る、山や原生林をはじめとする自然界の神域
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今月の北斎 「山下白雨」(富嶽三十六景)
※2図ともに小林達雄氏著「縄文文化が日本人の未来を拓く」より抜粋
吉川 竜実さんプロフィール
神宮参事・博士(文学)
皇學館大学大学院博士前期課程修了後、平成元(1989)年、伊勢神宮に奉職。
平成2(1990)年、即位礼および大嘗祭後の天皇(現上皇)陛下神宮御親謁の儀、平成5(1993)年第61回式年遷宮、平成25(2013)年第62回式年遷宮、平成31(2019)年、御退位につき天皇(現上皇)陛下神宮御親謁の儀、令和元(2019)年、即位礼及び大嘗祭後の天皇(今上)陛下神宮御親謁の儀に奉仕。平成11(1999)年第1回・平成28(2016)年第3回神宮大宮司学術奨励賞、平成29(2017)年、神道文化賞受賞。
通称“さくらばあちゃん”として活躍されていたが、現役神職として初めて実名で神道を書籍(『神道ことはじめ』)で伝える。