先人たちが残してきたさまざまなアートには、調和と共生の象徴でもある縄文的感性を覚醒させる手がかりがあるようです。そこで世界的にも突出した浮世絵師・葛飾北斎の「富嶽三十六景」を題材に、日本人の精神性を縄文に遡って探究していた岡本太郎の芸術論を交えてご紹介いたします。
吉川さん:岡本太郎の人生や生き方(=芸術)の核心に、「宇宙=無=絶対」と合一するという哲学や信念があるという解釈の元となった岡本太郎の述懐があります。縄文意識覚醒アートとは何かを掴んでいただく大きなヒントとなり得るため、ご紹介しておきたいと思います。
私の言う「爆発」はまったく違う。音もしない。物も飛び散らない。 全身全霊が宇宙に向かって無条件にパーッとひらくこと。それが「爆発」だ。人生は本来、瞬間瞬間に、無償、無目的に爆発しつづけるべきだ。いのちのほんとうの在り方だ。
( 略 )
……そうだ。おれは神聖な火炎を大事にして、まもろうとしている。大事にするから、弱くなってしまうのだ。己自身と闘え。自分自身を突きとばせばいいのだ。炎はその瞬間に燃えあがり、あとは無。―爆発するんだ。
自分を認めさせようかとか、この社会のなかで自分がどういう役割を果たせるんだろうとか、いろいろ状況を考えたり、成果を計算したり、そういうことで自分を貫こうとしても、無意味な袋小路に入ってしまう。
今、この瞬間。まったく無目的で、無償で、生命力と情熱のありったけ、全存在で爆発する。それがすべてだ。そうふっきれたとき、ぼくは意外にも自由になり、自分自身に手ごたえを覚えた。
(〝爆発〞の秘密「第4章 あなたは常識人間を捨てられるか」(『自分の中に毒を持て』より))(波線は編集部による)
そしてもうひとつ。このような爆発の果てにある自己と「宇宙=無=絶対」との合一を果たす境地や空間を、神や仏、或いは「透明なる混沌」とも呼称し尊重している岡本太郎の主張についても引用しておきたく思います。
芸術表現の以前と以後を支える強烈な信念、世界観に心身がうちつらぬかれなければ、芸術の営みを断つべきである。それが芸術にとって、また人間として正しい。
どういう芸術がよくて、どういうのが悪いなんて、言っても意味がない。すべてイマジネーションであり、幻のようなもの。悪くいえば誤謬である。それが否定されたり、肯定されることによって、価値も現出したり消滅したりする。
セザンヌにしたって、ピカソにしたって、言ってみれば幻であろう。ただそれが強烈な信念、情熱によって貫かれ、支えられているかどうか。そしてそのように受けとられているということが問題なのである。
( 略 )
その信念が宗教においては神であり、仏であるかもしれないが、私はそれを、透明なる混沌と言おう。
(秘密荘厳「神秘日本」(岡本太郎の宇宙4『日本の最深部へ』より))
(波線は編集部による)
その透明なる混沌からこそ優れた「芸術」作品が現出されると共に「呪術」も発生すると岡本太郎が考えていたことは大変重要です。
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今月の北斎 「神奈川沖浪裏」(富嶽三十六景)
吉川 竜実さんプロフィール
神宮参事・博士(文学)
皇學館大学大学院博士前期課程修了後、平成元(1989)年、伊勢神宮に奉職。
平成2(1990)年、即位礼および大嘗祭後の天皇(現上皇)陛下神宮御親謁の儀、平成5(1993)年第61回式年遷宮、平成25(2013)年第62回式年遷宮、平成31(2019)年、御退位につき天皇(現上皇)陛下神宮御親謁の儀、令和元(2019)年、即位礼及び大嘗祭後の天皇(今上)陛下神宮御親謁の儀に奉仕。平成11(1999)年第1回・平成28(2016)年第3回神宮大宮司学術奨励賞、平成29(2017)年、神道文化賞受賞。
通称“さくらばあちゃん”として活躍されていたが、現役神職として初めて実名で神道を書籍(『神道ことはじめ』)で伝える。