神道の起源を縄文文化に訪ねるシリーズの4回目。今号では、山の神々を崇め、大地の神さまを鎮め、樹木に感謝を捧げて永遠に続く幸せを後世に願う祈りのひとつ「鳥総立て」と「植樹」の精神について紐解きます。
吉川さん:約1万5千年間続いた縄文文化の全時期を通じて重視された樹木の一つに、クリがあります。
クリは比較的加工が容易であり耐久性・保存性に優れ、湿気に強く腐食しにくい性質を有しており、竪穴式住居や食物倉庫の建築材として利用されました。
またクリの実は食料としても利用され、縄文の人々はそれを栽培管理していたといわれています。
このようなクリの利用法から思考すると、縄文文化においては既に「植樹」の業が行われていたと考えても差し支えないでしょう。
弥生の人々がよく「稲の民」と称されるのに対して、縄文の人々が「森の民」と称される所以ではないでしょうか。
奈良時代成立の『万葉集』巻三には、
造筑紫観世音寺別当の沙弥満誓
鳥総立て足柄山に船木伐り
樹に伐り行きつあたら船材を
という歌があります。歌中冒頭に「鳥総立て」とありますが、鳥総立てとは、建造物を作るために伐採した木の切り株に、その木の葉の茂った枝を差し込み感謝の祈りを捧げ、再生をはかった木樵たちの伝統的な風習です。
『祝詞式』(927年成立)には宮殿の平安を祈る「大殿祝」が収載されています。
この祝詞の中に「奥山の大峡・小峡に立てる木を、斎部の斎斧をもちて伐り採りて、本末をば山の神に祭りて、中間を持ち出で来て、斎鉏をもちて斎柱立てて」と見られます。
つまり宮殿の建築用材について、山々に生い茂る樹木の本(=切り株と根)と末(=枝葉)の部分は神に捧げ、その中間の部分が充当されることを明記しています。
おそらく縄文の頃より、この本末を使用して伐採された樹木には必ず鳥総立てが施され、その再生が祈られたと思うのです。
わが国に植樹の業を伝えた神としては、天照大御神の弟神であるスサノオノミコトがあげられます。
天の岩戸の後、高天原から追放されたスサノオノミコトは、『日本書紀』巻一第八段の第四・第五の一書によると、出雲地方に直接天降られたのではなく、韓地を経由してから出雲や紀伊地方に来られたと伝えています。
特に第五の一書では、スサノオノミコトは「韓地には金銀の宝はあるが浮宝=舟がないので良くない」と仰られて、スギやクス(舟をつくる材)をはじめヒノキ(宮殿をつくる材)やマキ(棺をつくる材)等の種子を化生され樹木を育成、その用途までも定められたことが記されています。
すなわちスサノオノミコトには縄文文化的な植樹の神の側面も見られるといえるのではないでしょうか。
吉川 竜実さんプロフィール
神宮参事・博士(文学)
皇學館大学大学院博士前期課程修了後、平成元(1989)年、伊勢神宮に奉職。
平成2(1990)年、即位礼および大嘗祭後の天皇(現上皇)陛下神宮御親謁の儀、平成5(1993)年第61回式年遷宮、平成25(2013)年第62回式年遷宮、平成31(2019)年、御退位につき天皇(現上皇)陛下神宮御親謁の儀、令和元(2019)年、即位礼及び大嘗祭後の天皇(今上)陛下神宮御親謁の儀に奉仕。平成11(1999)年第1回・平成28(2016)年第3回神宮大宮司学術奨励賞、平成29(2017)年、神道文化賞受賞。
通称“さくらばあちゃん”として活躍されていたが、現役神職として初めて実名で神道を書籍(『神道ことはじめ』)で伝える。